仙台高等裁判所 昭和25年(う)861号 判決
原判決は、「被告人は仙台市東二番丁七十六番地仙台市立病院に入院中の者であつたが、昭和二十四年九月二十七日頃その入院並びに医療諸費用の支払を免れるため、退院する旨を同病院係員に告知しないで、同所守衛に対し、恰も普通の外出であるかのように装い、その旨同人を誤信させて逃走し、因て同病院の被告人に対する入院並びに医療諸費用等合計二万一千四百八十円の支払を免れ、以て右金額に相当する財産上不法の利益を得たものである。」という公訴事実に対し、被害者たる仙台市立病院が被告人に対し本件入院並びに医療諸費用につき、なんら財産的処分行為(例えば債務の免除、履行の延期等)をした形跡がなく、この点において本件は詐欺の構成要件該当事実の一部を欠いているから本件は既にこの点において罪とならないものであると判断して、被告人に対し無罪の言渡をしている。なるほど、刑法第二百四十六条第二項の詐欺罪は、人を欺罔し、これに原因して、他人をして特定の処分または意思表示をなさしめ、これにより財産上の利益を得、または、第三者をして得せしめた場合に成立するものである。しかし、ここに云う、他人をして特定の処分または意思表示をなさしめ、というのは、これを本件公訴事実摘示の、仙台市立病院の被告人に対する入院並びに医療諸費用の支払を免れたということについて云えば、債権者たる仙台市立病院(正確には仙台市と思われる)を詐欺により錯誤に陥らしめ前記諸費用の支払の免除または支払延期の承諾の意思表示をなさしめる等により外見的にも法律上の利益を得た場合はもちろん、詐欺の手段を施した結果法律上より観察すれば、依然その債務を負担しているのであるが、事実上債権者を錯誤に陥れた上、一時的にもせよその支払の請求を免れていた如き場合をも包含するものと解さねばならない。今、原審が取り調べた仙台市立病院事務室勤務の仙台市吏員菊地時雄提出の詐欺被害届書の記載と、検察官作成の三木国男の第五回供述調書及び検察事務官作成の被告人の第二回及び第四回供述調書中の各供述記載並びに原審公判廷における被告人の供述によれば、被告人は痔疾治療のため昭和二十四年七月二十五日その情夫三木国男と相談の上仙台市立病院に入院したのであるが同年七月三十一日までの入院諸費用を支払つたのみで、その後の費用は病院から支払の請求を受けたがその都度支払の猶予を乞うているうちに、同年九月二十七日病院を無断逃走し、その後同病院には何の連絡もせず所在をくらまし、原判決当時までには、前記諸費用合計二万一千四百八十円に対し、些かも、その支払をしていない事実が、窺われるのであつて、このように、被告人が右諸費用を支払わないで無断逃走した結果病院側をしてこれを請求するの途なきに至らしめ、よつて、被告人はその支払請求を免れていたのであるから、この場合も、前段で説明したとおり、まさに支払を免れ以て財産上の利益を得た場合に包含されると解されるのである。しかるに、原判決が、前に掲げたような理由で、本件を罪とならないものとして、直ちに、無罪の言渡をしたのは、まさしく、法令の解釈適用を誤つた違法があると云わねばならない。
なお、刑法第二百四十六条第二項の詐欺罪が成立するためには、財産上の損害を受ける者が被欺罔者であると、第三者であるとは問うところではないが、少くとも、被欺罔者は被害に係る財産上の利益につき、これが処分または意思表示をなすことができる権限または地位を有することを必要とすると解すべきところ、本件の公訴事実によると、被告人は、仙台市立病院に入院中、入院並びに医療諸費用の支払を免れるため退院する旨を同病院係員に告知しないで同所守衛に対し恰も普通の外出であるかのように装い、その旨同人を誤信させて逃走し、と記載されてあり、一見被欺罔者は守衛で、被害者は仙台市立病院であるかのように見られる。しかし、病院の一守衛が本件のように、入院並びに医療諸費用の支払請求につき何等かの処分または意思表示をなし得べき権限または地位を有しているとは、到底考えられないことであるから、原審としては、よろしく、本件の被害者と被欺罔者は異なるのであるが、異なるとすればそれは何人であるか、そして、被欺罔者は如何なる権限または地位を有しているものであるか等、本件の公訴事実自体につき検察官に釈明を求め、もし、事実関係を明らかにするがため必要と認めるならば、被告人が病院に差し入れたという入院証や被告人が支払請求を受けたという請求書の提出を求める等これに関する立証を促し、これによつて、本件の訴因を明確ならしめた上本案の審理判断をすべきであつたと思われる。原審がこの点において、審理を尽さなかつたことは、結局において、本件につき、前記のように、法令の解釈適用を誤る結果をまねいたものだとも認められる。